坂本吉弘さんの記事が新聞に掲載されました。 2018年6月23日 日経新聞
平成の30年
米に挑んだ日本 車など産業に強み 坂本吉弘・元通産審議官
ふり返れば、1999年が世界の自由貿易の一つの転機だった。反グローバリズムの激しいデモがWTOのシアトル閣僚会議を粉砕した。さらなる自由化を目指すドーハ・ラウンドの立ち上げが失敗に終わった。
その反グローバリズムの高まりの裏側にあったのは、米経済界の内部で起きたパワーシフトだ。デトロイトを核とする製造業に代わり、金融業が米経済の主役となった。ウォール街がつくり出した偏狭なグローバル化の概念が、致命的な誤解と反感を招いた。
WTOが機能しなくなり、自由貿易を支える多国間主義が死んでいった。米国と壮絶な貿易摩擦の末に、私たちが獲得した普遍的な価値観だったはずなのに……。
通商交渉は、産業の力があってこそ勝てる。昭和の繊維、カラーテレビ、鉄鋼の対米摩擦では、正直なところ、戦えば日本はつぶされると感じていた。だが平成の日本の自動車、半導体は強かった。
だからこそ平成初期に米国に物を申し、一方的な制裁措置を封じようと対決に打って出た。透明な多国間ルールによる自由貿易体制を築きたい信念からだった。軍事や政治での腕力主義や自国優先主義に終止符を打つ時だと考えた。
忘れられない場面がある。95年6月、ジュネーブでの日米自動車交渉の最終局面。当時の橋本龍太郎通産相がカンターUSTR代表と一騎打ちに臨む前夜だった。私が「私どもは大臣をご信頼申し上げております」と言った瞬間、橋本氏は「俺がお前らを信用していないんだ」と、顔を真っ赤にして私を怒鳴りつけた。
橋本氏は一世一代の勝負をかけた。交渉は決着し、米国はそれ以来、国内法による自分勝手な制裁措置を使えなくなった。今の日本には摩擦を起こす力もない。